スウェーデンでは伝統的に、高齢者の介護は地方自治体(スウェーデンでは「コミューン」と呼ばれる)により提供されてきました。しかし、経済的理由や政治的判断によって、民間による高齢者の在宅ケアも政府により許可され、徐々にですが、確実にスウェーデン社会に浸透してきています。
この記事は、Zeynab Kalhor氏の論文「スウェーデンにおける高齢者介護の民営化:公的および民間在宅介護のサービス品質比較」(Privatization of elderly care in Sweden: a comparison between quality of public and private home care services)を参考にしています。同論文では、3つの公的サービスと6つの民間サービスを、マネージャーへの聞き取り調査などから比較しています。また、民間への開放に至るまでのスウェーデンの介護政策の歴史がわかりやすく解説されています。
1918年から49年まで、地方自治体による高齢者介護は、老人ホームでの施設介護に限定されていました。経済的に余裕がなく、介護が受けられない人は、貧困者手当(Poor Relief)を受け取っていました。貧困者手当は、高齢者の子世代から地方自治体により徴収されました。これは、介護は公共の義務ではなく家族の問題である、という当時の考え方に基づくものです。
1913年から施行されていた上記システムの改善のために生まれたのが、国民年金保険(National Pension Insurance)です。この保険は国により提供されるもので、地方自治体の負担を軽減させました。しかし、この保険も十分とは言えず、依然として多くの高齢者は貧困者手当に頼らざるを得ませんでした。
1947年には、それまでの国民年金保険制度は、税金を財源とする高齢者年金制度(old-age pension system)に改められました。これにより、高齢者は貧困者手当の対象からは外されることになりました。老人ホームは経済的事情にかかわらず、介護を必要とするすべての高齢者のための施設と認識されるようになりました。
それでも、1940年代後半においては、地方自治体は十分な数の施設を提供することができていませんでした。そこで、1950年代には赤十字の協力による在宅介護サービスが始まりました。提供されるサービスの満足度も高く、この計画は成功しました。介護を必要とする人の増加とともに、在宅介護サービスの提供は地方自治体の責務となっていきます。この頃、都市部には最新の設備を備えた住居が次々と建設されていました。これが、高齢者が十分なサービスを受けて自宅で暮らす助けとなっていきます。
1970年代、高齢者介護は依然として低価格で提供されていました。しかし、介護の需要は増加し、より教育されたスキルのあるスタッフが必要となっていきました。それによってコストも上昇します。国は在宅介護サービスに補助金を提供していましたが、老人ホームにはありませんでした。このため、多くの老人ホームが閉業に追い込まれました。その結果、老人ホームを利用できなくなった高齢者の介護のために、多くの在宅介護サービス会社が設立されることになりました。
教育された介護スタッフの需要は1980年代にはいっそう高まります。この時、高齢者の医療を担うことになったのは、ランスティングと呼ばれる地域行政単位です。ランスティングはスウェーデン独自の地方行政単位で、医療を主要な主管事務としています。
しかし、医療を伴うケアを必要とする高齢者が、高額な病院のベッドに留まることになり、このことが地方の財政を圧迫し始めます。ここに至って、国は老人ホームへの補助金提供開始を決断します。さらに、地方自治体がサービスを組織する際の裁量も大きくなり、介護を提供する民間企業との契約も可能となりました。
1990年代前半、スウェーデンは経済危機に見舞われたことで、介護の民営化も加速されていきます。1992年には「エーデル改革」(Ädelreformen)が施行され、これによって地方自治体がすべての高齢者介護を担うこととなりました。医療措置が必要でない高齢者が病院に滞在を続ける場合、そのコストはランスティングではなく、地方自治体に支払い義務が生じると変更されました。
市場の競争を促すこともエーデル改革の目的でしたが、この場合の競争はコストではなくサービスの質による競争を意図していました。つまり、公的か民間かにかかわらず、同一料金でサービスを提供する必要がありました。政府は、高齢者自身がサービス提供者を選べる「消費者選択モデル」を提唱しました。
ここで注意しておきたい点は、民間業者も地方自治体と契約を結んでサービスを提供しているのであって、お金の出所は公的サービスと同じということです。だとすれば、公的サービスと民間サービスの違いはどこにあるのでしょう? 民間業者は、公的な契約を結んでいるサービス内容に加えて、追加のサービスを利用者に提案することが可能で、そこから利益を得ることが認められています。一方、公的サービスは、 決められたこと以外の提供が法律で禁じられています。このことが、「消費者選択モデル」において民間サービスの利用を促す利点となっています。
高齢者介護のサービス提供における地方自治体への裁量権が増えたことで、自治体ごとにサービスの違いが生まれることになりました。国としては、社会福祉の質を落とすことなくコストを削減する方法の模索を迫られます。
1998年には、「高齢者介護に関する政府行動計画」(National plan of action for the care of elderly)が策定され、そこでは高齢者介護は国が責任を持つことが明記されました。介護については、高齢者がどれだけお金を持っているかではなく、何を望んでいるかに応えるものであるために、公的な資金で、民主的に組織運営されるべきとされました。その意図は、自立を保ちつつも、良質なサービスへのアクセスが確保され、安心して年齢を重ねられることでした。地方自治体は、高齢者介護の提供主体として、より裁量権を与えられることになりました。
このように、現在スウェーデンの高齢者福祉は、公的機関と民間企業の両方から提供されています。民間介護事業者の占める割合は2005年11%、2012年16%となっています。2019年では、在宅介護で23%、施設介護で20%が民間業者により担われています(Swedish National Board of Health and Welfare 2019より)
スウェーデンの高齢者は、公的サービスか民間サービスかを自ら選ぶことができます。Kalhorの研究によると、サービスの質にはどちらも大きな違いはないとされていますが、一般的に公的サービスの方がより多くの利用者を集めているようです。
民間サービスにはまだ少し慎重な人も多いことがうかがえます。Kalhorの聞き取り調査においても「本当かどうかはわからないが、民間企業は公的機関よりもミスが多い印象を持っている人も多い」と答えた方もいました。しかし、Kalhorが行った民間サービスのマネージャーへの聞き取りでは、彼らはより良いサービスが提供できていると語っています。聞き取りを行った6人のマネージャーのうち4人は、以前に公的サービスに勤めており、両方の事情を知っています。
彼らは民間サービスの利点として、チームの教育により多くの時間を割けることを挙げています。スタッフとのミーティングの時間を多く設け、改善すべきことを確認することができる。また、利用者や家族の話を聞くことにもより多くの時間を使えるといいます。利用者や家族の意見や提案はサービスの向上を大きく助けるものですし、サービスの評価の元となるニーズをつかむことにも繋がります。例えばストックホルム市政府では、月に1回、公的サービスも民間サービスも同様のやり方で評価を行っています。
公的サービスで働いている職員はより忙しく、チームをリードするための時間を取りにくい一方で、民間サービスでは組織が縦割りではなく、職員間でより直接的なコミュニケーションがとりやすい利点があるという回答がありました。聞き取り調査の結果によると、民間サービスでは仕事に追われるプレッシャーが比較的小さい傾向があるようです。また、民間サービスでは、より教育されたスタッフや、多言語を話せるスタッフが多いとの回答もありました。
スウェーデンには移民が多く、彼らも高齢になると介護が必要となります。スウェーデンで育った移民の子供たちは、多くの場合、彼らの親の母国語とともにスウェーデン語や英語も話せます。
しかし、高齢の移民がスウェーデン語を話せることは稀です。さらには、彼らの文化的、宗教的背景を理解したスタッフがいることも介護サービスには重要となります。民間サービスのマネージャーは職員の雇用の自由度が高いため、例えば多言語の職員を確保することが比較的容易です。
スウェーデンの民間在宅介護事業が社会に浸透するには未だ課題はあります。しかし、Kalhorの研究結果と、近年の増加傾向を考えると、今後より多くの人が民間サービスを使うようになる可能性は高いでしょう。
参考文献:Kalhor, Zeynab. n.d. “Privatization of Elderly Care in Sweden: A Comparison between Quality of Public and Private Home Care Services.”